要約

前回にひきつづき、いわゆる「ポストモダン人類学」を批判的にレビューしつつ、人類学をより高度な形に昇華させる道を探りたい。今回は「反省性」を武器として「ポストモダン人類学」の構築を狙った業績を批判的にレビューすることで、「反省性」の限界を明らかにする。「反省性」は読者の読みを必ずしも統制できない。モダニティにとらわれていた読者に向かい合う時、「反省性」に依拠するエスのグラフィーは、むしろ文化本質主義的な志向を強化する装置として作動する。反リアリズム、反本質主義をテキストによって教導しようとする者は、自らのテキストが反リアリズム、反本質主義的な立場に立つことをであることを、リアリスティックかつエッセンシャルに宣言するという背理を積極的に引き受けなければならない。本稿で筆者は、この背理の発現を構造人類学の中に見いだすとともに、その批判的継承物としての「ポストモダン人類学」を提唱する。

キーワード

ポストモダン人類学、本質主義、反省性、読者、構造人類学