要旨

 1970年代以降の人類学の「揺らぎ」と、それに対する人類学者の応答(いわゆるポストモダン人類学)を批判的にレビューしつつ、人類学をより高度な形に昇華させる道を展望することが本稿の目的である。従来型の「ポストモダン人類学」のメソッドには、調査者たる人類学者の持つ特権性――「観察・調査できる者」「連帯のために降りていける者」といった特権性――をプラクティカルに忘却させる装置として作動し続けてきた。本稿は、まずその実態についてのレビューから出発する。そして、その誤作動それ自体がプラクティカルに担保され続けた原因を、ポストモダン人類学者たちが抱いてきた、反省性に対する過度の期待と、「読者」に対する過度の軽視に求める。最終的に筆者は、以上の議論をふまえつつ、文化研究を「刷新」し、真のポストモダン人類学を構築する契機としての構造人類学が持つポテンシャルを再評価する。

キーワード

ポストモダン人類学 本質主義 反省性 読者 構造人類学